チェンナイからの電車で、隣になった白人男性が同じくアムリタプリに行くということで一緒に来た。彼は、今回で三回目の訪問になるという。とても気さくで感じがいい。こんな移動中の出会いは、旅の醍醐味。
アムリタプリに着いて、早々、カフェテリアで昼食を頼んでいたところ、今回再会を約束していたバラナシで出会った日本人の友人と再会した。
わずか一日の滞在、心の通った友人がいてくれるのが何よりも心強い。
正直、宗教とか霊性とかまったく知らない自分がたった1日の滞在で、ここでのことを説明するのは難しい。
あえて、簡単に言うと、宗教団体ということになるけど、そう簡単にも説明できない。
アンマを中心としてそれぞれが霊性を高めていくということが基本的な理念になっている。
別に、団体に入っていない人たちもここに滞在して、アンマに会うことが出来るし、長く滞在することができる。
連日の移動疲れもあって、夕方に昼寝をし夜からアンマに抱きしめてもらうことにした。
アンマが抱いてくれることをダルシャンという。昼からはじまり、夜中の1時、2時まで続くこともよくあるという。その間、アンマはトイレや一切の休憩も取らずに、次々に人を抱きしめていくという。
因みに、アンマは55歳になるという、この点だけでもかなり脅威的なのは確かだ。
大きなホールに椅子が並べられ数百人の人がいて、インド音楽の生演奏が鳴り響く、そして、ダルシャンがおこなわれている壇上には沢山の人がいてアンマの姿は見えない。
左右で順番待ちをしている人の列があり、30分ほど順番に並び壇上まで着くと、やっと、アンマの姿が実際に見えた。
関係者、待つ人まで計で100人近くの人が狭い壇上にいる。緊張と高揚であたりは異様な雰囲気がある。
インド人、欧米人問わずに感激で涙を流す人も少なくなく、大半の人が深く感激し高揚している。
その様子から、アンマが神様のような存在もしくはそれに近い存在として人々に信仰されているのがわかる。
ダルシャンを待つ間、特に、アンマに対して信仰の気持ちがない自分には、逆に、この異様な雰囲気が気持ちを乱し、どんな気持ちでアンマに抱きしめてもらえばいいのか?がわからなくなった。
旅の最後としてここを選んだことを考えると、更に気持ちをどこに持っていけばいいのかわからなくなった、、、、、
そして、ダルシャンまで後10人ほどのところで、答えが見つかった。
抱きしめてもらうという行為は、心を開放しない限りはきっと意味がない。
身も心もその人にゆだねること。
だから、まずは、自分の身も心も全てをアンマにゆだねる。
それは、そのままアンマだけでなくこの世界の全てに身も心もゆだねることに繋がっていく。
そして、この世界の全てに感謝すること。
アンマという女性を通して、全てに繋がっていくこと。
なぜだかわからないけど、比較的永く抱きしめてもらっていた。
10数秒ほどだろうか?
耳元で何かを囁いてくれたがよくわからなかった。
特に、そういうことを求めていなかったからだろうか?
正直、僕には、アンマから何か特別なものは感じなかった。
確かに、今回アンマのおかげで、前よりも世界と周りと深く繋がっていること、そして感謝の心を感じられるようになった。
多くの人が、アンマにひかれる理由はこれかもしれない。
もう一度、世界と繋げっていることを感じることが出来、
全てに世界に対し感謝の気持ちを湧き上がらせてくれる、
そして世界はより鮮やかに深みをおび見え感じることができる。