日が昇る前、暗く灰色の町ポンティアナックを後にして、小さな50人乗りのプロペラ機で、Pangkalan bun(パンカラン ブン)という町へ。
同じボルネオ島内にも関わらず、船でもバスでも行くことが出きない。
ジャングルの雨季の雨の凄まじさで、道路がないのはわかるが、海岸線沿いにあるにも関わらず船で行くことが出来ないのが理解できない。まるで、陸の孤島。
空港に迎えに来てくれたのはこれからお世話になるFNPFというNGOのスタッフ、コマン。バリ育ちの、大柄の男。
タクシー、小型ボート、そして、バイクタクシーと乗り継ぎ、お決まりのパームプランテーション畑を抜け、Jerumbun(ジュルンブン)という目的地に到着。
正直、あまり状況も把握できていないまま、とりあえず、着いてきた。
とりあえず、現場に実際行ったり、人に会ってみないとわからないのがインドネシア。
小さな小屋の後ろに、キッチンと、ベンチとテーブルがあり、現地人が3人と、白人の年配の女性がいた。
早速挨拶を交わし合う、
みんなとても、穏やかで感じがいい、ゆったりと和やかな空気が流れ、旅の緊張をほぐしてくれる。
植林地を決めるに当たって、決め手になったものは、いつも旅に使うlonley planetという世界で一番売れているガイドブックに載っていた小さな記事だった。
このNGOが草の根的な活動をしていて、いかに良いスタッフがいるのか、そして文章を書いた本人の優しい人柄まで伝わってくるような温かい文章。
もし、この小さな記事がなかったら、ここを選んでなかったとおもう。少ない手がかりで来るには、すこし遠すぎる。
そして、この記事を書いたのが目の前のアメリカ人の女性Kayさんだった。
彼女も、記事が掲載されているのは初めて見るらしく、驚いていたし、自分の記事を読んで誰かが来てくれたことをとても喜んでいた。
55歳になるKayは、いつも笑顔が絶えることがなく、いつも誰に対しても優しい。
一方で、意思が強く、意見がはっきりとしているところは、さすがアメリカ人。
ハワイ島、フロリダなど大自然の残るアメリカ国内のいろいろな場所に住み、環境に関するNGOや世界でも屈指の運営を誇るアメリカの国立公園など、常に自然や人に関わる仕事をしてきた。
環境に対して、深い知識と経験がある。
そんなKayがとにかくここのNGOの活動とスタッフを絶賛する、
というか、感情いっぱいの言葉で、彼らは自分のヒーローなのと語る。
少ない運営費で、草の根的な活動で自然や人を守り。そして、何よりもスタッフたちの明るくシンプルで優しいその人柄が素晴らしいとのこと。
彼女が生きてきた時代のアメリカは今の日本と同じように、社会も人々も酷く病んでいた。
そんな中で、彼女はシングルマザーとして3人の子供を育てるが、いつも、不安とストレスに苦しめられた生活をおくって来たという。
そして、3年ほどまえに、知り合いを通じ、FNPFで数ヶ月ボランティアをすることになり、それ以来、何度もボランティアに来ているそう。
ここでの生活は、アメリカでの生活に較べればかなり不便、自分の部屋もなければ、言葉も最初はしゃべれないし、大量の蚊に、食事も質素、トイレもシャワーもない。
それでも、そのままの自分でいればいいという人々の優しさや素直な笑顔、そして、質素ながらも必要な食べ物や生活に必要なものを与えてくれる自然の恵みが、彼女を癒し、いつも平和な優しい気持ちにさせてくれると言う。
さっき、ここに来たばかりなのに、Kayの言っている意味が少し理解できる。
どうやら、自分が探していた場所に来れたようだ。
沢山の人から預かった植林のお金を、安心して渡すことが出来る場所に。

これが、Jerumbunという場所でのFNPFスタッフの家。今年から活動の一環として、この周辺でオーガニック農園を始めた。

家の裏にあるキッチン。