2009年09月24日

人と人の間=人間

「人」の「間」と書いて「人間」と書く、

「人」と「人」の「間」に何があったら「人間」になるんだろう?



自分の人生のテーマとして環境問題を大きく掲げてきた、
旅を通して自然の圧倒的な存在に衝撃を受け、そしてその中に人間は生きながらも、自ら自然を傷つけ自分たちの命を危険な状態に置いている事実に、どうしても目を背けることができなかった、
と言うか、
自分自信に嘘をつけないくらいに、なぜだか、そのことが自分の心に重くのしかかり、自分の中にある欲望や怠惰を知っていても、とてもじゃないけど、無視していきられる感じがしなかった。

そんな具合で、本業には出来ないまでも、ここ6年くらい環境問題に関わり、沢山の本を読んだり、仕事の中で環境的なことを行動してみたり、個人的に環境の活動をしたりしてきた。

自分の動向と同じように、世間でもエコとか環境がブームに、年々エコとか環境という言葉を聞く機会は、政治からビジネスまであらゆる場所で増えて来ている。
何か新しい時代への兆しが少しづつでも出て来ていることには希望を感じるけど、相変わらずの成長思考、消費思考の経済と人々のあり方は、ほとんど変わらない。

外を見れば相変わらず、
車は激しく走り、派手なネオンが街を照らし、買い物袋をもった人々が歩く、、、

正直言って、環境のことを深く考えている自分ですら、凄まじい勢いで流れていく川の中で、その慣れに逆らうのはそう簡単でないし、その流れに流されてしまうのも悪くないという気持ちがあるのも確かだ。

そして、そんな社会と自分の状況に多少の嫌気がさし、倦怠な気分になる時も多くなって来た。

それでもこの状況に対して、
どうしていったらいいの?だろうという疑問を持ち、答えを探し続けることは止めなかった。
寄り道や休憩を少ししすぎた感はどうしても拭えないけど、

最近、なんとか、そこを抜けて一つの答えに辿り着くことが出来た。

「環境問題」が問題なんじゃなくて、環境問題を引き起こしている人間、つまり人間のあり方が問題だと言うこと。
そして、人間のあり方は、人と人の関係の中で築かれていくものだから、その関係性(コミュニケーション)が間違っていれば、個人の思考(あり方)も間違った物になってしまい、その上になりたつ社会もまた、おかしなものになってしまう。

人と人の関係性、人と自然との関係性を、もう一度見つめ直すこと。

関係性、言い方を変えるとコミュニケーションのあり方を正しいものにしていかない限りは、環境問題はどうしても発生してしまう。
人と人の関係性が間違っていれば、いつか喧嘩や戦争が起きるのも同じこと。

人と人、人と生命、生命と物、人と物、、、
それぞれがお互いの存在を支えている。

しかし、それぞれが争う必要はない、
争いお互いの生を危うい状態にする必要などない。

一方的に自分の利益だけを考えた、自分が絶対的に正しいなんていう神様のような考えでは、
関係性の中ではやっていけない。

それぞれが等しく、それぞれでしかない。

そういう存在であることを理解し、それでもなお個性を失わずいること。



いつのまにか「環境問題」という言葉そのものに取り憑かれている自分がいた。

例えば、「環境問題」を「癌」に置き換えてみるとわかりやすい、
癌が起きてしまった後の治療方法をどんなに頑張ってみても、結局、癌になりやすい生活自体を変えていかなければ、どうしようもない。

そんなあたりまえのことわかっていたよって言われそうことだけど、
意外とこれをしっかりと意識し、生活出来ている人は少ないし、
自分の健康のことと違って、環境のこととなるとあまりに規模が大きすぎて、ほとんどの人が個人には関係ないなんて考えてしまう。

そう、そして、
この「関係ない」って思ってしまっていることが根本の問題の原因になっているだってことに気がついた。

ボクも含め、みんな、
関係ないっておもった途端に、どうでもよくなる。

そして、その逆に、関係あるっていう想いが増えれば、増えるほど、どんな遠くのことでもほっておけなくなる。

それが気になって気になって、どうしても、気分がすっきりしなかったり、

それの影響で、自分の生存の可能性が危うくなると知ったなら、どうだろう?


もう一度、一人一人が、人と、社会と、自然との関係性を取り戻していくこと、
そのことが環境問題だけなく、個人、社会の多くの問題を解決していく。
なぜなら、社会とも自然環境とも人は絶対に離れて生存することが出来ない。
100億円を手にしても、自然からも社会(人のコミュニケーション)からも縁を切ることは出来ない。

これからは環境問題に対する直接的な行動だけでなく、
人と人、人と自然との関係性、コミュニケーションを探求し、何か活動(ビジネス、もしくは、ビジネス以外)をしていければとおもう。

人は、自然から完全に切り離されてしまえば、生き物として生きることができず、
人から切り離されてしまえば、人間としての精神を創造し、保つことができない。

「人」の「間」と書いて「人間」と書く、間があるということはそこに関係があり、コミュニケーションがあり、その関係があって初めて人は「人間」になる。
posted by taku at 10:42| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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